ここ3年ほど、所属学科の入試担当として
学科広報と学生募集活動に関わってきた。
ウェブ(公式サイト、ブログ、Twitter、Facebook、YouTube)、
印刷媒体(大学案内、ポスター、チラシ、車内広告)、
高校訪問、大学展、オープンキャンパス、などなど、
さまざまなメディアやイベントを活用してきた中で
わかったことが一つある。
大学広報においては学生が最良のメディアである、と。
学科の入学者数が過去最低に落ち込んだ年に入試担当となり、
まず最初に取り組んだことは
オープンキャンパス改革であった。
幸いなことに、所属学科には明るく活発な学生が多い。
授業以外の場でさまざまなことにチャレンジし
その経験とコミュニケーション力を活かして優良企業に就職している。
オープンキャンパスは、そんな生き生きした在学生たちを
「見せるための場」として活用することにしたのである。
5〜6人の高校生に対して1人の割合で学生スタッフを配置し
模擬授業にも同じテーブルに座って参加させた。
そして学科紹介や入試制度の説明に時間を割くよりも
高校生と在学生が対話できる時間を増やしたのである。
学生スタッフを選ぶ際は、
成績優秀で模範的な学生というよりは、
コミュニケーション能力の高さを最優先し
身近で多様なタイプの学生たちを選んだ。
その結果、
「先輩たちの様子を見て、楽しそうな学生生活が送れそうだと感じた」
「この学科に入学すれば自分を変えられると思った」
などの感想が増えて、学科志望者が急増した。
どの大学の公式サイトも大学案内パンフレットも美辞麗句で飾られ
そこで他大学との差別化を図ることは難しい。
また、そこには理想的で模範的な学生(モデル)ばかりが登場し、
多くの受験生にとっては「遠い世界の人」にしか映らない。
消費者がテレビCMにだまされなくなったように、
受験生も広告物だけでは志望校を選ばなくなっている。
SNSや友人・知人の「クチコミ」の影響力も大きいが
人から聞いた話だけではなく、
自ら実際にキャンパスに足を運んで雰囲気を体感し、
在学生たちの生き生きとした表情や姿を見て、
そこに自分の将来像をリアルに重ねることができるかどうか、
それがオープンキャンパスの価値であると言える。
そして学生は、受験生にとって最も信頼できるメディアとなっているのである。
こうした広報がどの大学でもできるわけではないが
「ウチにはいい学生がいるんだけど、受験生が集まらなくて...」
と嘆いている、地方の小規模大学などの場合には有効な方法ではないだろうか。
2013年10月11日金曜日
2013年9月21日土曜日
ガラケー時代の終わり
この2年ほどのあいだ、
携帯電話(ガラケー)とiPhoneの2台持ちを続けてきた。
ガラケーは主にメールと通話、
iPhoneはSNSや検索などのウェブ
というように使い分けていたのだけれど
今回、iPhoneに一本化することにした。
LINEを使うようになってからは
学生たちとの連絡も、家族との通話も
すべてLINEだけで済むようになり
この数ヶ月間は、ほとんどガラケーを使わなくなっていたからだ。
仕事での連絡は別として
コミュニケーション・ツールとしてのメールは
もうその役割を終えようとしている。
そして、電話も。
メディアの歴史において、携帯電話という
一つの時代が終わったのは間違いない。
スマートフォンは、Web2.0のように、私たちのライフスタイルを大きく変えた。
「Web2.0」みたいに、この現象に何か名前を付ける必要があるのではないだろうか?
携帯電話(ガラケー)とiPhoneの2台持ちを続けてきた。
ガラケーは主にメールと通話、
iPhoneはSNSや検索などのウェブ
というように使い分けていたのだけれど
今回、iPhoneに一本化することにした。
LINEを使うようになってからは
学生たちとの連絡も、家族との通話も
すべてLINEだけで済むようになり
この数ヶ月間は、ほとんどガラケーを使わなくなっていたからだ。
仕事での連絡は別として
コミュニケーション・ツールとしてのメールは
もうその役割を終えようとしている。
そして、電話も。
メディアの歴史において、携帯電話という
一つの時代が終わったのは間違いない。
スマートフォンは、Web2.0のように、私たちのライフスタイルを大きく変えた。
「Web2.0」みたいに、この現象に何か名前を付ける必要があるのではないだろうか?
2013年1月23日水曜日
Web1.0懐古
この2年ほどはすっかりFacebookの方に入り浸り
mixiで書き込みをすることはほとんどなくなっていたのだが、
mixiが「足あと」(正確には「訪問者」)を試験的に復活させたようなので
久々にアクセスしてみた。
タイムラインには、マイミク64人のうち特定の3〜4人の書き込みしかない。
しかも、そのうち2人はTwitterのツイートを表示させているだけである。
ほとんどmixiを利用していなかったわりに
マイミクの数が減っていなかったのはやや意外だったが、
どうやら、そのマイミクたちも私と同様に
最近はmixiから足が遠ざかっているために
マイミクの解除すらしていないだけのことのようだ。
建物は立っているものの人影のないゴーストタウンに
迷い込んでしまったような感覚に襲われる。
このままmixiにサヨナラを告げてもよいのだけれど
唯一の心残りは、Web1.0的なつながりで
交流していた少数のマイミクさんの存在である。
マイミクのマイミク、という関係だったり
たまたま投稿した画像を見つけてコメントをくれたり
などというきっかけでマイミクになったその人たちとは
本名はもちろん、住む地域も、年齢も、性別すらも知らないまま
何度かメッセージをやりとりしたり、
互いの投稿にコメントしたりという形で
細々とつながりを保ってきた。
相手の正体を知らないままの関係の方が
余計な気を使わないし、
ある意味では素顔でコミュニケーションをとることもできた。
2000年前後のいわゆる「ホームページ」の時代にも
全国の見ず知らずの人たちとつながりができて
それはとても「インターネット的」なことで
新鮮で、魅力的な感覚だった。
そうしたマイミクさんと、実名制のFacebookでつながりたいとは思わない。
本名や、各種プロフィールや、顔写真などを知ってしまうことで
何か大切なものが失われてしまうのはまちがいない。
Facebookは、それはそれで楽しいし魅力的なサービスだけれど
Web1.0の時代の、匿名のコミュニケーションの良さを楽しむことはできない。
匿名アカウントのTwitterならまだ可能かも知れないけれど。
あの頃は楽しかった、などというと年寄りみたいで嫌なのだけれど
ソーシャルメディア全盛の時代にあって
かつての「インターネット的」な楽しさが失わてしまうのが
残念だという気持ちを否定することもできないのである。
mixiで書き込みをすることはほとんどなくなっていたのだが、
mixiが「足あと」(正確には「訪問者」)を試験的に復活させたようなので
久々にアクセスしてみた。
タイムラインには、マイミク64人のうち特定の3〜4人の書き込みしかない。
しかも、そのうち2人はTwitterのツイートを表示させているだけである。
ほとんどmixiを利用していなかったわりに
マイミクの数が減っていなかったのはやや意外だったが、
どうやら、そのマイミクたちも私と同様に
最近はmixiから足が遠ざかっているために
マイミクの解除すらしていないだけのことのようだ。
建物は立っているものの人影のないゴーストタウンに
迷い込んでしまったような感覚に襲われる。
このままmixiにサヨナラを告げてもよいのだけれど
唯一の心残りは、Web1.0的なつながりで
交流していた少数のマイミクさんの存在である。
マイミクのマイミク、という関係だったり
たまたま投稿した画像を見つけてコメントをくれたり
などというきっかけでマイミクになったその人たちとは
本名はもちろん、住む地域も、年齢も、性別すらも知らないまま
何度かメッセージをやりとりしたり、
互いの投稿にコメントしたりという形で
細々とつながりを保ってきた。
相手の正体を知らないままの関係の方が
余計な気を使わないし、
ある意味では素顔でコミュニケーションをとることもできた。
2000年前後のいわゆる「ホームページ」の時代にも
全国の見ず知らずの人たちとつながりができて
それはとても「インターネット的」なことで
新鮮で、魅力的な感覚だった。
そうしたマイミクさんと、実名制のFacebookでつながりたいとは思わない。
本名や、各種プロフィールや、顔写真などを知ってしまうことで
何か大切なものが失われてしまうのはまちがいない。
Facebookは、それはそれで楽しいし魅力的なサービスだけれど
Web1.0の時代の、匿名のコミュニケーションの良さを楽しむことはできない。
匿名アカウントのTwitterならまだ可能かも知れないけれど。
あの頃は楽しかった、などというと年寄りみたいで嫌なのだけれど
ソーシャルメディア全盛の時代にあって
かつての「インターネット的」な楽しさが失わてしまうのが
残念だという気持ちを否定することもできないのである。
2012年10月24日水曜日
アラブの春
『「アラブの春」の正体 − 欧米とメディアに踊らされた民主化革命』重信メイ 著
を読んだ。
中東については、マスメディアのごく限られた、
そしておそらくかなり偏った情報しか得られないし、
観光旅行などで訪れるような場所も少ないので
文化・宗教的にもあまり馴染みがなく
はっきり言って、よくわからない世界である。
20年くらい前に、エジプトを2週間ほど旅行した時に
けっこう地元のエジプト人何人かと話をしたり
一緒に旅をしたりしたので
その時に歴史や宗教観を話し合ったくらいの知識しかない。
いわゆる「アラブの春」については、授業の中で
「ソーシャルメディアによる革命」
「ウェブの力がアラブの民衆を解放した」
みたいな一言でまとめてしまっていた。
当然といえば当然だが、
現実はそんな単純でもハッピーなものではなかった、
ということがこの本を読んで分かった。
20年前にエジプトで出会った知識層の若者たちが
自分たちの境遇に対して怒っていた理由も
ようやく今になって理解できた気がする。
ソーシャルメディアが必ずしも人々を幸せにするものではないことも。
を読んだ。
中東については、マスメディアのごく限られた、
そしておそらくかなり偏った情報しか得られないし、
観光旅行などで訪れるような場所も少ないので
文化・宗教的にもあまり馴染みがなく
はっきり言って、よくわからない世界である。
20年くらい前に、エジプトを2週間ほど旅行した時に
けっこう地元のエジプト人何人かと話をしたり
一緒に旅をしたりしたので
その時に歴史や宗教観を話し合ったくらいの知識しかない。
いわゆる「アラブの春」については、授業の中で
「ソーシャルメディアによる革命」
「ウェブの力がアラブの民衆を解放した」
みたいな一言でまとめてしまっていた。
当然といえば当然だが、
現実はそんな単純でもハッピーなものではなかった、
ということがこの本を読んで分かった。
20年前にエジプトで出会った知識層の若者たちが
自分たちの境遇に対して怒っていた理由も
ようやく今になって理解できた気がする。
ソーシャルメディアが必ずしも人々を幸せにするものではないことも。
2012年10月20日土曜日
「市民メディア」という名称について
私は2002年くらいから、北海道の稚内市という地方都市で
「映像による地域情報の発信」という活動をボランティア的に続けてきて
(個人ではなく、NPO法人としての活動である)
それを「市民メディア」と呼んで研究も続けてきたのだけれど、
この呼称が結局あまり普及しないまま、消えてしまいそうな気配である。
何か名前がないと論文を書くときに困るのだけれど、
CGM(Consumer Generated Media)や
UGC(User Generated Content)などの英語は
やっぱり日本では馴染まないし
(IT業界で頭文字用語が多すぎるのだ)
「オルタナティブ・メディア」とか「草の根メディア」だと
マス・メディアと対抗するジャーナリスティックなメディアみたいになるし、
「一般のユーザが投稿したコンテンツ」の総称がなかなか見つからない。
「ソーシャルメディア」という名前はすっかり定着した感があるが
やっぱり市民メディアとはちょっと違う存在だし...。
自分的にはUGC(ユーザ生成コンテンツ)が
一番理想に近いのだけれど、
どうも一般の人には覚えてもらえそうにない。
覚えやすい名前がないと普及しないので、
なんとかならないかと思いつつ、
もう10年近くが経過しようとしているのだった...
「映像による地域情報の発信」という活動をボランティア的に続けてきて
(個人ではなく、NPO法人としての活動である)
それを「市民メディア」と呼んで研究も続けてきたのだけれど、
この呼称が結局あまり普及しないまま、消えてしまいそうな気配である。
何か名前がないと論文を書くときに困るのだけれど、
CGM(Consumer Generated Media)や
UGC(User Generated Content)などの英語は
やっぱり日本では馴染まないし
(IT業界で頭文字用語が多すぎるのだ)
「オルタナティブ・メディア」とか「草の根メディア」だと
マス・メディアと対抗するジャーナリスティックなメディアみたいになるし、
「一般のユーザが投稿したコンテンツ」の総称がなかなか見つからない。
「ソーシャルメディア」という名前はすっかり定着した感があるが
やっぱり市民メディアとはちょっと違う存在だし...。
自分的にはUGC(ユーザ生成コンテンツ)が
一番理想に近いのだけれど、
どうも一般の人には覚えてもらえそうにない。
覚えやすい名前がないと普及しないので、
なんとかならないかと思いつつ、
もう10年近くが経過しようとしているのだった...
2012年10月9日火曜日
研究対象としてのmixi
mixiが試験的に「足あと」機能を復活させるらしい。
すでに乱獲して魚がいなくなった海に、今さらエサを撒いても遅い。
以前の黄金期のmixiには
研究対象として非常に興味を持っていた。
特に、「足あと」と「日記」継続の関係とか、
匿名の「コミュニティ」の人気の秘密とか、
「鬱日記」の効用とか、
いくらでも研究テーマが見つかる場所だった。
でも、本腰を入れて研究を始めようとした直後に
次々と新たなサービスが導入され、
mixi独自の魅力と思われた機能が次々と廃止または改悪され、
研究テーマの廃墟と成り果ててしまったのだった。
「ユーザーファーストなmixiを目指して」なんて言ってるけど、
今までは何をファーストに考えていたのだろう...
すでに乱獲して魚がいなくなった海に、今さらエサを撒いても遅い。
以前の黄金期のmixiには
研究対象として非常に興味を持っていた。
特に、「足あと」と「日記」継続の関係とか、
匿名の「コミュニティ」の人気の秘密とか、
「鬱日記」の効用とか、
いくらでも研究テーマが見つかる場所だった。
でも、本腰を入れて研究を始めようとした直後に
次々と新たなサービスが導入され、
mixi独自の魅力と思われた機能が次々と廃止または改悪され、
研究テーマの廃墟と成り果ててしまったのだった。
「ユーザーファーストなmixiを目指して」なんて言ってるけど、
今までは何をファーストに考えていたのだろう...
2012年10月6日土曜日
テレビ vs facebook
テレビの時代は終わり、今はウェブの時代なのだ
的な話を授業で話したりすることがあるのだけれど、
そう単純に総括できるものではないということを
改めて実感させられる出来事があった。
5年くらい前、稚内の大学にいた頃に
人気番組の「笑ってコラえて」に出たことがある。
地元の人がオススメの飲食店を教えるというようなコーナーで
ほんの3分程度の出演であった。
(いきなりアポ無しで取材に来た)
その時の反響はけっこう大きく、
地元の人から「テレビ見たよ」と何度も声をかけられたし
旭川に住む親戚からも電話がかかってきた(笑)
数ヶ月後に再放送された時にも、再び「有名人」になった。
テレビの影響力はすごいなぁ、と実感させられたものである。
ちなみに、学生たちと作った映像にも何度か出演して
YouTubeでいつでも観られるようにはなっているのだけれど、
「YouTubeで観たよ」と言われたことはまだ一度もない。
それから約5年後の昨日、
facebook経由で見覚えのない名前の人からメッセージが届いた。
15年くらい前に、札幌で何度か一緒の飲み会に参加したという女性だった。
私の記憶力はかなり低下しており(昔から低かったが)
名前を見ただけでは全然思い出せない。
何度かメッセージを交わして分かったのは、
彼女は数年前のテレビで私を見たときに
友人と「懐かしいねー」的な会話を交わしており、その後
今年から利用し始めたfacebook上で私を見つけたということだった。
facebookってすごいなぁ、と実感。
15年前に何度か会ったことがあるという程度の知り合いで
しかも当時とは遠く遠く離れた場所に住む人間を
簡単に見つけ出して連絡をとれてしまうのである。
知ってるのは名前だけで、電話番号もメールアドレスも知らない状態で
札幌→稚内→愛知と渡り歩いてきた私を見つけ出すことは
調査会社とか探偵でもそう簡単なことではないはずである。
まあ、facebookのすごさというよりは、
実名制ネットワークのメリットがここにあるわけである。
単純にまとめると
テレビもすごいし、ウェブもすごいということか(笑)
的な話を授業で話したりすることがあるのだけれど、
そう単純に総括できるものではないということを
改めて実感させられる出来事があった。
5年くらい前、稚内の大学にいた頃に
人気番組の「笑ってコラえて」に出たことがある。
地元の人がオススメの飲食店を教えるというようなコーナーで
ほんの3分程度の出演であった。
(いきなりアポ無しで取材に来た)
その時の反響はけっこう大きく、
地元の人から「テレビ見たよ」と何度も声をかけられたし
旭川に住む親戚からも電話がかかってきた(笑)
数ヶ月後に再放送された時にも、再び「有名人」になった。
テレビの影響力はすごいなぁ、と実感させられたものである。
ちなみに、学生たちと作った映像にも何度か出演して
YouTubeでいつでも観られるようにはなっているのだけれど、
「YouTubeで観たよ」と言われたことはまだ一度もない。
それから約5年後の昨日、
facebook経由で見覚えのない名前の人からメッセージが届いた。
15年くらい前に、札幌で何度か一緒の飲み会に参加したという女性だった。
私の記憶力はかなり低下しており(昔から低かったが)
名前を見ただけでは全然思い出せない。
何度かメッセージを交わして分かったのは、
彼女は数年前のテレビで私を見たときに
友人と「懐かしいねー」的な会話を交わしており、その後
今年から利用し始めたfacebook上で私を見つけたということだった。
facebookってすごいなぁ、と実感。
15年前に何度か会ったことがあるという程度の知り合いで
しかも当時とは遠く遠く離れた場所に住む人間を
簡単に見つけ出して連絡をとれてしまうのである。
知ってるのは名前だけで、電話番号もメールアドレスも知らない状態で
札幌→稚内→愛知と渡り歩いてきた私を見つけ出すことは
調査会社とか探偵でもそう簡単なことではないはずである。
まあ、facebookのすごさというよりは、
実名制ネットワークのメリットがここにあるわけである。
単純にまとめると
テレビもすごいし、ウェブもすごいということか(笑)
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