2013年10月11日金曜日

大学広報においては学生が最良のメディアである

ここ3年ほど、所属学科の入試担当として
学科広報と学生募集活動に関わってきた。

ウェブ(公式サイト、ブログ、Twitter、Facebook、YouTube)、
印刷媒体(大学案内、ポスター、チラシ、車内広告)、
高校訪問、大学展、オープンキャンパス、などなど、
さまざまなメディアやイベントを活用してきた中で
わかったことが一つある。

大学広報においては学生が最良のメディアである、と。


学科の入学者数が過去最低に落ち込んだ年に入試担当となり、
まず最初に取り組んだことは
オープンキャンパス改革であった。

幸いなことに、所属学科には明るく活発な学生が多い。
授業以外の場でさまざまなことにチャレンジし
その経験とコミュニケーション力を活かして優良企業に就職している。

オープンキャンパスは、そんな生き生きした在学生たちを
「見せるための場」として活用することにしたのである。
5〜6人の高校生に対して1人の割合で学生スタッフを配置し
模擬授業にも同じテーブルに座って参加させた。
そして学科紹介や入試制度の説明に時間を割くよりも
高校生と在学生が対話できる時間を増やしたのである。

学生スタッフを選ぶ際は、
成績優秀で模範的な学生というよりは、
コミュニケーション能力の高さを最優先し
身近で多様なタイプの学生たちを選んだ。

その結果、
「先輩たちの様子を見て、楽しそうな学生生活が送れそうだと感じた」
「この学科に入学すれば自分を変えられると思った」
などの感想が増えて、学科志望者が急増した。


どの大学の公式サイトも大学案内パンフレットも美辞麗句で飾られ
そこで他大学との差別化を図ることは難しい。
また、そこには理想的で模範的な学生(モデル)ばかりが登場し、
多くの受験生にとっては「遠い世界の人」にしか映らない。
消費者がテレビCMにだまされなくなったように、
受験生も広告物だけでは志望校を選ばなくなっている。

SNSや友人・知人の「クチコミ」の影響力も大きいが
人から聞いた話だけではなく、
自ら実際にキャンパスに足を運んで雰囲気を体感し、
在学生たちの生き生きとした表情や姿を見て、
そこに自分の将来像をリアルに重ねることができるかどうか、
それがオープンキャンパスの価値であると言える。

そして学生は、受験生にとって最も信頼できるメディアとなっているのである。


こうした広報がどの大学でもできるわけではないが
「ウチにはいい学生がいるんだけど、受験生が集まらなくて...」
と嘆いている、地方の小規模大学などの場合には有効な方法ではないだろうか。

2013年9月21日土曜日

ガラケー時代の終わり

この2年ほどのあいだ、
携帯電話(ガラケー)とiPhoneの2台持ちを続けてきた。

ガラケーは主にメールと通話、
iPhoneはSNSや検索などのウェブ
というように使い分けていたのだけれど
今回、iPhoneに一本化することにした。

LINEを使うようになってからは
学生たちとの連絡も、家族との通話も
すべてLINEだけで済むようになり
この数ヶ月間は、ほとんどガラケーを使わなくなっていたからだ。

仕事での連絡は別として
コミュニケーション・ツールとしてのメールは
もうその役割を終えようとしている。

そして、電話も。

メディアの歴史において、携帯電話という
一つの時代が終わったのは間違いない。

スマートフォンは、Web2.0のように、私たちのライフスタイルを大きく変えた。
「Web2.0」みたいに、この現象に何か名前を付ける必要があるのではないだろうか?

2013年1月23日水曜日

Web1.0懐古

この2年ほどはすっかりFacebookの方に入り浸り
mixiで書き込みをすることはほとんどなくなっていたのだが、
mixiが「足あと」(正確には「訪問者」)を試験的に復活させたようなので
久々にアクセスしてみた。

タイムラインには、マイミク64人のうち特定の3〜4人の書き込みしかない。
しかも、そのうち2人はTwitterのツイートを表示させているだけである。

ほとんどmixiを利用していなかったわりに
マイミクの数が減っていなかったのはやや意外だったが、
どうやら、そのマイミクたちも私と同様に
最近はmixiから足が遠ざかっているために
マイミクの解除すらしていないだけのことのようだ。

建物は立っているものの人影のないゴーストタウンに
迷い込んでしまったような感覚に襲われる。


このままmixiにサヨナラを告げてもよいのだけれど
唯一の心残りは、Web1.0的なつながりで
交流していた少数のマイミクさんの存在である。

マイミクのマイミク、という関係だったり
たまたま投稿した画像を見つけてコメントをくれたり
などというきっかけでマイミクになったその人たちとは
本名はもちろん、住む地域も、年齢も、性別すらも知らないまま
何度かメッセージをやりとりしたり、
互いの投稿にコメントしたりという形で
細々とつながりを保ってきた。

相手の正体を知らないままの関係の方が
余計な気を使わないし、
ある意味では素顔でコミュニケーションをとることもできた。
2000年前後のいわゆる「ホームページ」の時代にも
全国の見ず知らずの人たちとつながりができて
それはとても「インターネット的」なことで
新鮮で、魅力的な感覚だった。

そうしたマイミクさんと、実名制のFacebookでつながりたいとは思わない。
本名や、各種プロフィールや、顔写真などを知ってしまうことで
何か大切なものが失われてしまうのはまちがいない。

Facebookは、それはそれで楽しいし魅力的なサービスだけれど
Web1.0の時代の、匿名のコミュニケーションの良さを楽しむことはできない。
匿名アカウントのTwitterならまだ可能かも知れないけれど。

あの頃は楽しかった、などというと年寄りみたいで嫌なのだけれど
ソーシャルメディア全盛の時代にあって
かつての「インターネット的」な楽しさが失わてしまうのが
残念だという気持ちを否定することもできないのである。